ゼルダ・フィッツジェラルドのように

岡崎京子の『Pink』にでてくるようなユミちゃんになりた~い!などと思って数年が経ちました。岡崎京子という漫画家が好きです。細い糸の上を綱渡りしているようなあの危うさがたまりません。数年前映画化して話題になった『ヘルタースケルター』の作者というと少しはわかりやすいでしょうか。

 

www.amazon.co.jp

 

『Pink』のユミちゃんは22歳のOLで、夜のバイトもしている女の子です。ワニを飼っていて、口から出まかせをよく言っていて、喜怒哀楽の激しい性格をしています。将来についてはあまりよく考えていません。仕事のこと、これからのことでいやなことがある時は大抵物を買うことで発散します。

 

物語は継母と肉体関係を持っているハルオ君との恋愛が軸なのですが、おそらく主題はそこではありません。あとがきで作者本人が「これは東京というたいくつな街で生まれ育ち「普通に」こわれてしまった女のこ(ゼルダフィッツジェラルドのように?)の”愛”と”資本主義”をめぐる冒険と日常のお話です」と言っているように、モノ社会で普通に生きることの難しさがテーマです。

 

この漫画の物欲にまみれた乙女的発言のとにかくおおいこと!

 

「お金でこんなキレイなもんが買えるんならあたしはいくらでも働くんだ」

 

「このクッキーにピーナツ・バターぬって バナナのうすぎるのせて食べると最高においしいんだ・よーん ワニも好きなんだよ ね 私たちはこれがあれば幸せなのよ ね」

 

「東京って何でも売ってるけど何でも高いねー」

 

「あたしTVみたく暮らしたいしananのグラビアみたく暮らしたいな」

 

「それよか見て! 靴でしょー バッグでしょー おようふくでしょー あと化粧品!」

 

「欲しいもんは欲しくなっちゃうもん 欲しくて欲しくていてもたってもいられなくなっちゃうもん」

 

日常は代り映えしないまま続くからこそ、ユミちゃんは冒険をします。自腹でタクシーを使って継母の恋愛沙汰を突きとめるし、15分の休みをぬってドトールでお茶をします。いやなことがあったときは、誕生日プレゼントにもらったワニに食い殺してもらう妄想をします。ワニは彼女にとってスリルとサスペンスそのものです。

 

生き延びるために物を買うこと。物によって目先の楽しいを作り続けること。

 

これってなんだか太宰治の『葉』の

「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った」

という文章を思い出しませんか?

 

でもこれって刹那的な生き延びかたでしかなくって、あくまで一時しのぎでしかない。一見お気楽で無敵にみえるユミちゃんも時々『発作』を起こして、渋谷で不安に襲われて立ち尽くしちゃうんですよね。やがて働き者のシンデレラは労働を捨て、モノを捨て『王子様』との逃避行を選びますが、その最上の幸せがやってくることは決してありません。王子様のキスは永遠にやってきません。

 

物に頼るのとか、だれかにすがるのって多分一番お気軽な方法で、でもそれは決して永遠ではないんだよなーとか思いつつ。だめだよなーと思いつつ。

 

でもこの欲に溺れる瞬間ってめちゃめちゃ気持ちいいし、なによりこういうギリギリの気持ちで生きてる女の子ってとってもかわいいんですよね。散る寸前の薔薇のようにかわいいなと思ってしまう。なにかを考えながら、一方で思考を全部放棄してる(破棄しようとしている)女の子ってめちゃくちゃかわいいという話でした。